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 前便に言ひ残し候事今少し申上候。宗匠的俳句と言へば、直ちに俗気を聯想するが如く、和歌といへば、直ちに陳腐を聯想致候が年来の習慣にて、はては和歌といふ字は陳腐といふ意味の字の如く思はれ申候。かく感ずる者和歌社会には無之と存候へど、歌人ならぬ人は大方箇様(かよう)の感を抱き候やに承り候。をりをりは和歌を誹(そし)る人に向ひて、さて和歌は如何様(いかよう)に改良すべきかと尋ね候へば、その人が首をふつて、いやとよ和歌は腐敗し尽したるに、いかでか改良の手だてあるべき、置きね置きねなど言ひはなし候様は、あたかも名医が匙(さじ)を投げたる死際(しにぎわ)の病人に対するが如き感を持ちをり候者と相見え申候。実にも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くにも有之候よ。さりながら愚考はいたく異なり、和歌の精神こそ衰へたれ、形骸(けいがい)はなほ保つべし、今にして精神を入れ替へなば、再び健全なる和歌となりて文壇に馳駆(ちく)するを得べき事を保証致候。こはいはでもの事なるを或(ある)人が、はやこと切れたる病人と一般に見做(な)し候は、如何にも和歌の腐敗の甚しきに呆(あき)れて、一見して抛棄(ほうき)したる者にや候べき。和歌の腐敗の甚しさもこれにて大方知れ可申候。

 この腐敗と申すは趣向の変化せざるが原因にて、また趣向の変化せざるは用語の少きが原因と被存(ぞんぜられ)候。故に趣向の変化を望まば、是非(ぜひ)とも用語の区域を広くせざるべからず、用語多くなれば従つて趣向も変化可致候。ある人が生を目して、和歌の区域を狭くする者と申し候は誤解にて、少しにても広くするが生の目的に御座候。とはいへ如何に区域を広くするとも非文学的思想は容(い)れ不申、非文学的思想とは理窟の事に有之候。

 外国の語も用ゐよ、外国に行はるる文学思想も取れよと申す事につきて、日本文学を破壊する者と思惟(しい)する人も有之(これある)げに候へども、それは既に根本において誤りをり候。たとひ漢語の詩を作るとも、洋語の詩を作るとも、将(は)たサンスクリツトの詩を作るとも、日本人が作りたる上は日本の文学に相違無之候。唐制に模して位階も定め、服色も定め、年号も定め置き、唐(から)ぶりたる冠衣(かんい)を著(つ)け候とも、日本人が組織したる政府は日本政府と可申候。英国の軍艦を買ひ、独国の大砲を買ひ、それで戦に勝ちたりとも、運用したる人にして日本人ならば日本の勝と可申候。しかし外国の物を用うるは、如何にも残念なれば日本固有の物を用ゐんとの考ならば、その志には賛成致候へども、とても日本の物ばかりでは物の用に立つまじく候。文学にても馬、梅、蝶、菊、文等の語をはじめ、一切の漢語を除き候はば、如何なる者が出来候べき。『源氏物語』、『枕草子(まくらのそうし)』以下漢語を用ゐたる物を排斥致し候はば、日本文学はいくばくか残り候べき。それでも痩(やせ)我慢に、歌ばかりは日本固有の語にて作らんと決心したる人あらば、そは御勝手次第ながら、それを以て他人を律するは無用の事に候。日本人が皆日本固有の語を用うるに至らば日本は成り立つまじく、日本文学者が皆日本固有の語を用ゐたらば、日本文学は破滅可致候。

 あるいは姑息(こそく)にも馬、梅、蝶、菊、文等の語はいと古き代より用ゐ来りたれば、日本語と見做(な)すべしなどいふ人も可有之(これあるべく)候へど、いと古き代の人は、その頃新しく輸入したる語を用ゐたる者にて、この姑息論者が当時に生れをらば、それをも排斥致し候ひけん。いと笑ふべき撞著(どうちゃく)に御座候。仮に姑息論者に一歩を借(か)して、古き世に使ひし語をのみ用うるとして、もし王朝時代に用ゐし漢語だけにても十分にこれを用ゐなば、なほ和歌の変化すべき余地は多少可有之候。されど歌の詞(ことば)と物語の詞とは自(おのずか)ら別なり、物語などにある詞にて歌には用ゐられぬが多きなど例の歌よみは可申候。何たる笑ふべき事には候ぞや。如何なる詞にても美の意を運ぶに足るべき者は皆歌の詞と可申、これを外にして歌の詞といふ者は無之候。漢語にても洋語にても、文学的に用ゐられなば皆歌の詞と可申候。

(明治三十一年二月二十八日)