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 魚容は傷の苦しさに、もはや息も絶える思いで、見えぬ眼をわずかに開いて、
「竹青。」と小声で呼んだ、と思ったら、ふと眼が醒(さ)めて、気がつくと自分は人間の、しかも昔のままの貧書生の姿で呉王廟の廊下に寝ている。斜陽あかあかと目前の楓(かえで)の林を照らして、そこには数百の烏が無心に唖々と鳴いて遊んでいる。

「気がつきましたか。」と農夫の身なりをした爺(じじい)が傍に立っていて笑いながら尋ねる。
「あなたは、どなたです。」
「わしはこの辺の百姓だが、きのうの夕方ここを通ったら、お前さんが死んだように深く眠っていて、眠りながら時々微笑んだりして、わしは、ずいぶん大声を挙げてお前さんを呼んでも一向に眼を醒まさない。肩をつかんでゆすぶっても、ぐたりとしている。家へ帰ってからも気になるので、たびたびお前さんの様子を見に来て、眼の醒めるのを待っていたのだ。見れば、顔色もよくないが、どこか病気か。」
「いいえ、病気ではございません。」不思議におなかも今はちっとも空(す)いていない。「すみませんでした。」とれいのあやまり癖が出て、坐り直して農夫に叮嚀(ていねい)にお辞儀をして、「お恥かしい話ですが、」と前置きをしてこの廟の廊下に行倒れるにいたった事情を正直に打明け、重ねて、「すみませんでした。」とお詫びを言った。

 農夫は憐(あわ)れに思った様子で、懐(ふところ)から財布(さいふ)を取出しいくらかの金を与え、
「人間万事塞翁(さいおう)の馬。元気を出して、再挙を図(はか)るさ。人生七十年、いろいろさまざまの事がある。人情は飜覆(ほんぷく)して洞庭湖の波瀾(はらん)に似たり。」と洒落(しゃれ)た事を言って立ち去る。

 魚容はまだ夢の続きを見ているような気持で、呆然(ぼうぜん)と立って農夫を見送り、それから振りかえって楓の梢にむらがる烏を見上げ、
「竹青!」と叫んだ。一群の烏が驚いて飛び立ち、ひとしきりやかましく騒いで魚容の頭の上を飛びまわり、それからまっすぐに湖の方へいそいで行って、それっきり、何の変った事も無い。

 やっぱり、夢だったかなあ、と魚容は悲しげな顔をして首を振り、一つ大きい溜息(ためいき)をついて、力無く故土に向けて発足する。

 故郷の人たちは、魚容が帰って来ても、格別うれしそうな顔もせず、冷酷の女房は、さっそく伯父の家の庭石の運搬を魚容に命じ、魚容は汗だくになって河原から大いなる岩石をいくつも伯父の庭先まで押したり曳(ひ)いたり担(かつ)いだりして運び、「貧して怨(えん)無きは難し」とつくづく嘆じ、「朝(あした)に竹青の声を聞かば夕(ゆうべ)に死するも可なり矣」と何につけても洞庭一日の幸福な生活が燃えるほど劇(はげ)しく懐慕せられるのである。

 伯夷叔斉(はくいしゅくせい)は旧悪を念(おも)わず、怨(うらみ)是(これ)を用いて希(まれ)なり。わが魚容君もまた、君子の道に志している高邁(こうまい)の書生であるから、不人情の親戚をも努めて憎まず、無学の老妻にも逆わず、ひたすら古書に親しみ、閑雅の清趣を養っていたが、それでも、さすがに身辺の者から受ける蔑視(べっし)には堪えかねる事があって、それから三年目の春、またもや女房をぶん殴って、いまに見ろ、と青雲の志を抱(いだ)いて家出して試験に応じ、やっぱり見事に落第した。よっぽど出来ない人だったと見える。帰途、また思い出の洞庭湖畔、呉王廟に立ち寄って、見るものみな懐しく、悲しみもまた千倍して、おいおい声を放って廟前で泣き、それから懐中のわずかな金を全部はたいて羊肉を買い、それを廟前にばら撒(ま)いて神烏に供して樹上から降りて肉を啄(ついば)む群烏を眺めて、この中に竹青もいるのだろうなあ、と思っても、皆一様に真黒で、それこそ雌雄をさえ見わける事が出来ず、
「竹青はどれですか。」と尋ねても振りかえる烏は一羽も無く、みんなただ無心に肉を拾ってたべている。魚容はそれでも諦められず、
「この中に、竹青がいたら一番あとまで残っておいで。」と、千万の思慕の情をこめて言ってみた。そろそろ肉が無くなって、群烏は二羽立ち、五羽立ち、むらむらぱっと大部分飛び立ち、あとには三羽、まだ肉を捜して居残り、魚容はそれを見て胸をとどろかせ手に汗を握ったが、肉がもう全く無いと見てぱっと未練(みれん)げも無く、その三羽も飛び立つ。魚容は気抜けの余りくらくら眩暈(めまい)して、それでも尚(なお)、この場所から立ち去る事が出来ず、廟の廊下に腰をおろして、春霞(はるがすみ)に煙る湖面を眺めてただやたらに溜息をつき、「ええ、二度も続けて落第して、何の面目があっておめおめ故郷に帰られよう。生きて甲斐(かい)ない身の上だ、むかし春秋戦国の世にかの屈原(くつげん)も衆人皆酔い、我独(ひと)り醒(さ)めたり、と叫んでこの湖に身を投げて死んだとかいう話を聞いている、乃公(おれ)もこの思い出なつかしい洞庭に身を投げて死ねば、或(ある)いは竹青がどこかで見ていて涙を流してくれるかも知れない、乃公を本当に愛してくれたのは、あの竹青だけだ、あとは皆、おそろしい我慾の鬼ばかりだった、人間万事塞翁の馬だと三年前にあのお爺(じい)さんが言ってはげましてくれたけれども、あれは嘘だ、不仕合せに生れついた者は、いつまで経(た)っても不仕合せのどん底であがいているばかりだ、これすなわち天命を知るという事か、あはは、死のう、竹青が泣いてくれたら、それでよい、他には何も望みは無い」と、古聖賢の道を究(きわ)めた筈の魚容も失意の憂愁に堪えかね、今夜はこの湖で死ぬる覚悟。やがて夜になると、輪郭(りんかく)の滲(にじ)んだ満月が中空に浮び、洞庭湖はただ白く茫(ぼう)として空と水の境が無く、岸の平沙(へいさ)は昼のように明るく柳の枝は湖水の靄(もや)を含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶(ばんだ)の花は霰(あられ)に似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春の良夜、これがこの世の見おさめと思えば涙も袖(そで)にあまり、どこからともなく夜猿(やえん)の悲しそうな鳴声が聞えて来て、愁思まさに絶頂に達した時、背後にはたはたと翼の音がして、
「別来、恙(つつが)無きや。」

 振り向いて見ると、月光を浴びて明眸皓歯(めいぼうこうし)、二十(はたち)ばかりの麗人がにっこり笑っている。

「どなたです、すみません。」とにかく、あやまった。
「いやよ、」と軽く魚容の肩を打ち、「竹青をお忘れになったの?」
「竹青!」

 魚容は仰天して立ち上り、それから少し躊躇(ちゅうちょ)したが、ええ、ままよ、といきなり美女の細い肩を掻き抱いた。

「離して。いきが、とまるわよ。」と竹青は笑いながら言って巧みに魚容の腕からのがれ、「あたしは、どこへも行かないわよ。もう、一生あなたのお傍に。」
「たのむ! そうしておくれ。お前がいないので、乃公は今夜この湖に身を投げて死んでしまうつもりだった。お前は、いったい、どこにいたのだ。」
「あたしは遠い漢陽に。あなたと別れてからここを立ち退き、いまは漢水の神烏になっているのです。さっき、この呉王廟にいる昔のお友達があなたのお見えになっている事を知らせにいらして下さったので、あたしは、漢陽からいそいで飛んで来たのです。あなたの好きな竹青が、ちゃんとこうして来たのですから、もう、死ぬなんておそろしい事をお考えになっては、いやよ。ちょっと、あなたも痩せたわねえ。」
「痩せる筈さ。二度も続けて落第しちゃったんだ。故郷に帰れば、またどんな目に遭うかわからない。つくづくこの世が、いやになった。」
「あなたは、ご自分の故郷にだけ人生があると思い込んでいらっしゃるから、そんなに苦しくおなりになるのよ。人間到(いた)るところに青山(せいざん)があるとか書生さんたちがよく歌っているじゃありませんか。いちど、あたしと一緒に漢陽の家へいらっしゃい。生きているのも、いい事だと、きっとお思いになりますから。」
「漢陽は、遠いなあ。」いずれが誘うともなく二人ならんで廟(びょう)の廊下から出て月下の湖畔を逍遥(しょうよう)しながら、「父母在(いま)せば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方有り、というからねえ。」魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその学徳の片鱗(へんりん)を示した。
「何をおっしゃるの。あなたには、お父さんもお母さんも無いくせに。」
「なんだ、知っているのか。しかし、故郷には父母同様の親戚の者たちが多勢いる。乃公は何とかして、あの人たちに、乃公の立派に出世した姿をいちど見せてやりたい。あの人たちは昔から乃公をまるで阿呆か何かみたいに思っているのだ。そうだ、漢陽へ行くよりは、これからお前と一緒に故郷に帰り、お前のその綺麗(きれい)な顔をみんなに見せて、おどろかしてやりたい。ね、そうしようよ。乃公は、故郷の親戚の者たちの前で、いちど、思いきり、大いに威張ってみたいのだ。故郷の者たちに尊敬されるという事は、人間の最高の幸福で、また終極の勝利だ。」
「どうしてそんなに故郷の人たちの思惑ばかり気にするのでしょう。むやみに故郷の人たちの尊敬を得たくて努めている人を、郷原(きょうげん)というんじゃなかったかしら。郷原は徳の賊なりと論語に書いてあったわね。」

 魚容は、ぎゃふんとまいって、やぶれかぶれになり、
「よし、行こう。漢陽に行こう。連れて行ってくれ。逝者(ゆくもの)は斯(かく)の如き夫(かな)、昼夜を舎(す)てず。」てれ隠しに、甚(はなは)だ唐突な詩句を誦(しょう)して、あははは、と自らを嘲(あざけ)った。

「まいりますか。」竹青はいそいそして、「ああ、うれしい。漢陽の家では、あなたをお迎えしようとして、ちゃんと仕度がしてあります。ちょっと、眼をつぶって。」